ニクソン、フォード両政権で国務長官を務めたヘンリー・キッシンジャーによる『外交』。3か月かけてようやく読み終わりました。
戦後の外交に興味がわいたか何かでキッシンジャーの著書を探していてたまたま入手しまして、最初は回顧録みたいなものかと思ってたんですが全然違いました。外交史の重厚なテキストです。17世紀初頭までさかのぼり、歴代の外交当事者の思想と行動を読み解きながら現在(執筆時点は冷戦終結直後の湾岸戦争当時)までたどります。
上巻では三十年戦争から始まって第2次世界大戦の終結までの時代が書かれていて、リシュリュー、メッテルニッヒ、ビスマルク、ナポレオン3世、ウィルソン、ヒトラー、チャーチル、スターリン、ルーズベルトといった面々が登場します。ここまでは比較的理解しやすいです。歴史が好きという人は楽しめると思います。
下巻では第2次世界大戦の後処理から東西冷戦とその終結までの時代が書かれています。近い過去であるうえキッシンジャー自身が当事者として関与するところでもあるためか、どうも話に掴みどころがなくなってきて僕は正直よく理解できませんでした。対ソ連の外交理論なんかは相当な予備知識がないとついていけないのだろうと思います。ただ最終章に冷戦後の世界秩序について考察があり、そこだけでも読んだ甲斐がありました。
全体を通してリシュリューから始まるヨーロッパの伝統的な外交思想と、ウィルソンに代表されるアメリカ独自の外交思想の対比が展開の柱となっており、そしてその二つの極の間で揺れ動くアメリカの外交政策に焦点が向けられています。
リシュリューは17世紀の三十年戦争の時代のフランスの宰相で、ドイツの強大化を抑えることがフランスの国益につながるという考えから自身がカトリックの枢機卿であったにもかかわらずドイツのカトリック諸国と対抗し、プロテスタントのスウェーデンを支援したり、さらにはイスラム教徒のオスマン帝国と連携したりと、キリスト教会の権威が価値観の軸であった時代において常識に背いた現実的な外交を実施した人です。このあたりから「国益」という考え方が重要視されるようになり、国益と国益、力と力の衝突と妥協により秩序を導こうとするバランス・オブ・パワーがヨーロッパの外交における300年の伝統になります。
一方、アメリカでは自由と民主主義のために建国されたその特異な歴史と、周囲を大洋に囲まれ近くに強大な国家が存在しなかったという地政学上の特性から、アメリカの例外主義というべき思想がうまれ、それが一面ではヨーロッパの影響から離れ南北アメリカ大陸で引きこもろうとする孤立主義となり、別の一面では全世界に自由と民主主義を広げようという英雄的な伝道者精神の源ともなります。第1次世界大戦後に国際連盟を提唱したウィルソン大統領は、やはり孤立主義に傾くアメリカの議会によって批准を却下されるというように、アメリカの世論と外交はよくこのふたつの状態のどちらかに傾きます。
ここが僕には一番意外だったんですが、第2次世界大戦の直前でさえ、アメリカの世論は孤立主義に大きく傾いていたようです。
ルーズベルトの任期の第一期は、第一次世界大戦についての修正主義の絶頂期と一致した。1935年に、ノース・ダコタ選出のジェラルド・ナイ議員の下の上院特別委員会は、アメリカの参戦は武器製造業者のせいだと非難する1,400ページの報告書を発売した。その後すぐ、ウォルター・ミルズのベストセラー『戦争への道』が、この主題を大衆向けに一般化した。この考え方の影響で、アメリカの参戦はアメリカの基本的あるいは永続的利益からというより背信行為、陰謀、裏切りによるものと説明された。
アメリカが再び戦争にまき込まれることを防ぐべく、1935年から1937年の間に議会は三つの中立法と呼ばれるものを採択した。ナイの報告書に刺激され、これらの法律は、(戦争の原因が何であれ)交戦国に対する借款および他のいかなる資金援助も禁じ、(どちらが犠牲者であれ)戦争当事国に対する武器禁輸を課した。現金による非軍事的物資の購入は、非アメリカ船籍の船で輸送される場合のみ認められた。議会は、戦争の危険を回避するほどには、利益を得ることを回避しなかったのだ。侵略者がヨーロッパで闊歩している時代に、アメリカは侵略者と犠牲者の区別を廃止して、同じ制限を両者に課したのである。
アメリカが第2次世界大戦に参戦したのは日本による真珠湾攻撃が直接の理由でした。ところでルーズベルト大統領は真珠湾攻撃を本当は知っていて黙っていたんじゃないかという説がありますが、その真偽はともかくとしても、もし日本がハワイに向かわずまっすぐ東南アジアに侵攻していたとしたら、イギリスの植民地を守る目的での参戦をアメリカの世論ははたして容認していただろうかと考えると、少なくとも日本の指導部はアメリカの世論について読みが足らなかったということは確かではないかと思いました。
アメリカは外交に道義性を重んじ、国家の外交も個人の道徳と同じ基準で評価されなければならないという発想をし、そのためヨーロッパの打算的なバランス・オブ・パワー外交を伝統的に軽蔑しています。一方ヨーロッパにおいてはバランス・オブ・パワーこそが唯一現実的な外交思想であり、アメリカの外交思想をまったく理解しませんが、二度の大戦ではアメリカの参戦なしにはドイツに対抗できなかったため、アメリカを引き入れるために仕方なくウィルソン的思想を受け入れます。国連を中心とする国際機関や集団安全保障の考え方は今でこそ当たり前のものになっていますが、国際連盟創設の際ヨーロッパにウィルソン的思想が持ち込まれたときには相当大きなギャップがあったようです。
アメリカもまた世界との関わりを深めるなかでヨーロッパと同様に地政学的な現実を受け入れざるを得ない機会が多くなります。
アメリカ的な言葉の用法に従えば、(NATO のように)アメリカが参加した同盟は、一般的に集団安全保障のための道具であると見なされた。しかし、これは集団安全保障という用語がもともと意味していたことではない。なぜならば、本質において、集団安全保障の概念と同盟の概念は180度反対のものだからである。伝統的な同盟は特定の脅威に対するものであり、それぞれ国益を共有するかあるいは共通の安全保障上の懸念を有することによって関係づけられた特定の国家間の義務を正確に定義づけるものであった。これに対して、集団安全保障は特定の脅威を定義づけず、特定の一国に保障を与えるものでない半面、どの国も差別しなかった。集団安全保障は理論上、どの国によってなされようが、またそれがどの国に向けられたものであろうが、平和に対するいかなる脅威にも対抗するためにつくられるのである。同盟はいつも特定の潜在的敵国を仮定しているのに対して、集団安全保障は国際法を一般的に守るものであり、それはちょうど国内で司法制度が刑法を支えているのと同じように、国際法を支えようとしたものである。それは国内法と同じように、特定の犯人を想定しているわけではないのである。同盟においては、開戦理由は同盟国の国益あるいは安全に対する攻撃であった。集団安全保障の開戦理由は、世界のすべての国民が共通の利益を有しているとされる紛争の“平和的”解決の原則の侵害である。それゆえ、必要な軍事力はその都度その都度、平和維持に共通の関心を有する国家群から集めなければならないのである。
リシュリューがドイツに対抗するためにイスラム教徒のオスマン帝国と手を結んだように、ソ連に対抗するために共産中国と協調したニクソンとキッシンジャーの時代は例外的にアメリカがバランス・オブ・パワー外交を優先した時であり、またそれはそれ以降のアメリカ外交にも作用するものでした。
冷戦後、アメリカが唯一の超大国、世界の警察と呼ばれた時代を経て、今は世界の多極化がいわれています。キッシンジャーは地政学上の現実を直視したバランス・オブ・パワー外交を支持しつつも、アメリカの伝統としての民主主義の伝道精神は引き続き不可欠な要素だと認めます。これから中国の興隆など国際環境がダイナミックに動く時代を迎えるなかで、ヨーロッパ、アメリカ、アジア、それぞれの外交の思想、伝統を理解することはこれまで以上に必要になるでしょう。そういった点で、この本は繰り返し読まれるべき良著だと思います。


